昭和49年05月05日 特別奉修委員
もう二十数年前、私北京から帰って間もなくでしたけれども、丁度善導寺の教会で。久留米の松本さんと云う、丸善という洋品店が有名なお店が御座いましたが、あちらのご主人が丁度あちらへ、善導寺に見えておられました。色々親先生が紹介して下さって、私もあちらから帰って来たばっかり、何か商売でも他に道は知りませんから、まあ松本さん辺りと何か関係を作っとったらよかろうと思いなさったんでしょう。そう云う意味で、紹介して下さったんです。
そん時に、そのー大変あの時分は、洋品店の方があまり実績が出来ませんでしたから、洗剤を作っておられました。荒木でそれで兎に角まあ昔から商売人の神様の様に言われた方ですしね。名人でした。それが【?】教会の総代もしておりましてね「それで大体その、商売で繁盛するなんか松本さん、コツと言った様なものは無いですか」と言うてね、私がお尋ねしたんです。そしたらこう云う事を言われました。「大坪さん、商売さして頂く者は何時もがチャンスです」と。
いつ勝つと云う事じゃありません。いつもがチャンスだとこう云う訳なんです。私それを聞いて、成程その道の達人と言われたら、それだけの一つの何か哲学の様な物を持っておられるんだなあと。是は信心を抜きにして、言うならばもう儲け出して行く人なんか、確かに良い教訓だと思うですね。もう何時もがチャンスだと。所がなら教祖様はそうではないですね。お道の信心さして頂く者は「時節を待て」と仰る。時節には敵わない。「時節を待っておかげを受けろ」とこう仰る。
だからその時節を待っておかげを受けると云う事は、必ずチャンスは来るんだと云う事なんです。だから言うならば、何時もがチャンスじゃないのです。チャンスの来るまで、チャンスが来た時にそれをパッとそれを頂き止めれる内容を、しっかり信心によって頂いておけよと云うのが、お道の信心さして頂く者の私は頂き方じゃないか。チャンスです。言うなら切っ掛けなんです。今日は私御祈念させて頂いておりましたら。
今朝から、昨夜お初穂の整理をして、私の部屋に整理してありましたから、昨日ある方が、沢山なまとまったお金をお供えしておられます。そしてそれに「奥城御造営費」とこっちが夢にも思わなかった事でした。そりゃ企画で何回か取り上げられましてね、ここも何とか奥城をどうかしなければと云う話は出ておりましたけれども、具体的な話が出来ませんでした。私も又まあだ時期じゃないと風に思ってましたし、したら是を頂いた。今御祈念中に、ははあ是がきっかけになるんだなあと私思いました。
まあだ私の方の場合なんかは、親教会の御造営がありますからね。まだ今はそんな段じゃない訳です。けれどもははあ是が切っ掛けになるんだなと。皆さんの様にこうした合楽教会のことを中心にして祈り願って下さる人達が、皆さんの祈り願いの中に、今日を境にもう改めて、奥城御造営の事が願われなければいけないと。こりゃもう私共がよいしょよいしょにならなければならない所ですからね、もう本当にまちっとあげんしときゃ良かったと言った様な物ではなくてね。
本当にあのうまあ合楽教会に相応しい立派な奥城建立を、今日を境に改めて願いたいと思います。ですからその弧とを願われる皆さんも、やっぱり此の事を切っ掛けです。昨日是をお供えして、二十日間の予定で中国に旅行されました。それで行き掛けに、お願いに見えられた。今日から発たれます。どう云うところからか知りませんけれども、思い掛けないそう云う献納がありましてね、それが私は昨日見えたけれども、直接取次しとらんから解らなかったんです。
で昨日妹が調べさして頂いて、今朝から解った。それもそれとて別にそうとも思わなかったけども、神様からお気付け頂いて、ははあ是が奥城建立の切っ掛けになるんだなと。だからそう云う一つの神様が水を向けて下さる。それに私共が便乗する心の状態と云う物を頂いておきませんとね、チャンスが来ても、時節が来てもそれを取り逃がし、取り逃がししてとうとう普通で言うならば運を。一生の間には何回かその開運の時期があると云う。その開運の時期を掴み切らんでしまわれるだけ。
松本さんの様に商売人の名人と言われりゃ、成程何時もがチャンスだとこう言われる。けども是は信心を抜きにした人のしかも、それは名人達人と言われる人でなからなければ、何時もチャンスなんて言う様な徹底した生き方が出来ないと思うんですけども、教祖様の場合はそうではない。「時節を待っておかげを受けたかが良い」とこう仰る。その時節到来してもそれを気付かなかったら、仕方がありません。
今朝から光橋先生のお従弟さんで、先日からお参りになっておられます。息子さんの縁談の事でお願いに見えた。そしたら「早速ある所から電話がかかって来た」とこう云うのです。だから私そん時に申しました「早速おかげ頂く様にお願いしときましょうね」と言う事でした。だから早速おかげを頂いた。あれがどうでしょう。皆さんの様に信心の稽古が少し出来た者ならば。
もうその足でちょいとお礼参拝ちゅうとこでしょう。けれどもそれを見たり、まあある意味で気に入られたりと云う様な事。昨夜はご主人の方が大変な腹痛を、腹痛で苦しまれたそうです。それで熊の湯とかなんか色々飲まれたけれども良くならん。そこでこの頃御神米ば頂いて来とったけん、あれば頂いてみなさいと奥さんが頂かれさたら、すぐおかげを受けた。そして今日言うならば、秋山さんが一緒にお届けしてから言われるんです。そのご主人の言わば告白である。
例えば今日でもお参りしてから、「自動車の中で俺は寝とくけんで、お前だけ参って来い」と云う事だったらしいけれども。「何かの機会でこうやってお参りなされた訳ですけれども、折角お参りをされて御理解も頂かんで帰ると云う事はね、買物に行って買物せんで帰る様なもんだと。だから御理解頂きなさらにゃいけませんよ。是からとてもまだまだおかげを受けなければならん事がいくらもある。
私はそん時も申しました。まあだあなた方この事だけではない。まあだどうでもおかげ頂かんならん事があるでしょうが。だから参っておいで」と言う訳だった。今日お話を聞くと、それこそ奥さんの方が、もう長年咳が止まらないと云う病気です。医者に行ったって、「その病気の原因はない」と言われるそうです。けれども咳が長い間続いておると云う病気ではない病気ですかね。と言う様にです。
どうでもおかげを受けなければならない事はいくらもある。そのおかげを頂いて行くと云う事がです。おかげを頂くチャンスが必ずあると云う事。切っ掛けが。けれども信心が薄かったり、なかったりしておる者はです。その切っ掛けが来ても、切っ掛けを切っ掛けと思い切らん。おかげであっても、おかげをおかげと思い切らん。おかげをおかげと思う時にです。有難いなあと云うその心が。
もう次のおかげの切っ掛けになってるんですからね。「真に有難いと思う心がみかげの初めだ」と仰る様に。だから兎に角信心の稽古をさして頂いて、チャンスが来る、時期が来た時、おかげをおかげと実感して行く稽古をしとかんとおかげのチャンスが到来しても、そのチャンスを、言わばまた見送ってしまわなければならんと云う様な事になりかねないのです。この辺のところを一つ。
お参りをさせて頂くと云う事はそう云うおかげのチャンスをね、言わば待たせて頂くと云う事です。だから、今おかげが頂けてもです。現われてきてもそれを受けこなせれる心の状態かどうかと云う事を何時も確かめておかなければいけないと思う。同時に今日の特別御祈念の方達にもう一つまた祈念のなさらなきゃならない事が、今日を切っ掛けに出来た。この方のお供えを切っ掛けに出来た。それは奥城建立と云う事であります。
どうぞ。